縁結び神社研究会

本光寺

ご利益:縁結び、子授け、安産、仏前結婚式、縁切り

交通:JR武蔵野線「市川大野駅」下車、徒歩3分



【特徴・見どころ】
 安産守護の子安鬼子母大善神をお祀りしています。鬼子母神はもともとインドで人の子を食らう鬼女でした。それが安産・育児の守り神となったのには一つの逸話があります。

 鬼子母神には500人の子供がおり、このうち最愛の末子を釈迦が隠してしまいました。そこで狂ったように嘆き、釈迦に助けを求めた鬼子母神に、釈迦は「500人の子がありながら1人いなくなっただけでそのように嘆き悲しむのであれば、これまで子供を殺されてきた親の気持ちはいかほどのものであったのか」と諭します。その言葉に今までの行いを悔いた鬼子母神は、釈迦に帰依して子供の守り神となりました。

 このため鬼子母神の『鬼』の字は、頭の角を取って書かれています(フォントの関係上、ここでは角がついていますが)。

 縁結びにご利益のある愛染明王も安置されています。愛染明王は「煩悩即菩提」を表し、愛欲やむさぼりなどがそのまま悟りの道であることを示してくれる縁結びの仏様です。

 また悪縁切りで有名な源頼政公にもゆかりがあります。源頼政は弓術の名手で、鵺退治で名を上げました。「鵺(ぬえ)」とは伝説上の妖怪で、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似て、声はトラツグミに似ていたといわれています。それを退治したことから、悪い物を断つ、悪縁を切るというご利益があるとされています。

 本堂での仏前結婚式も、一日一組限定で執り行われています。「仏前結婚式が開式すると、「奉告文の拝読」「念珠授与」「誓いの詞」「三三九度」「結婚指輪の交換」「正婚允可証の授与」「親族固めの盃」「閉式」の流れで厳粛に式は進みます。

【お寺から】

<本光寺のこと>

 正平16年(1361年)4月、日胤上人は中山より当村(御門)を閑居の地として堂宇を創立しました。同年、中山法華経より寺号許可を得、康安元年(1361年)11月に遷化されたと言われています。日胤上人は、中山法華経寺二世 日高上人(大田乗明の子息)の俗甥で日蓮聖人の教えを広め、信者を強化育成し、立正安国の聖業に精進されたと言われています。文化13年(1816年)に第二十三世 日理上人が堂宇を再建しました。第三十四世 日住上人が昭和42年に本堂、同46年に客殿を再建し、現在に至っています。

<どんな方が訪れているか>

 水子供養の参拝者が非常に多く、過去に水子供養をされた方で、早く子供を授かりたい・無事に出産したいと願う方が訪れます。最近、子授け・安産のご要望が多いので、水子供養地蔵尊の前だけでは不憫だと思い、本光寺に御安置されている安産守護子安鬼子母神の御宝前での祈祷・祈願を始めました。

<安産に関するイベント・エピソードなど>

 イベントは6月第2日曜日に「水子供養子育祈願祭」という行事があります。その時には、水子供養はもちろんのこと、日本の将来を担う子供達の発育を願い、また、子授け・安産も願います。

<エピソード>

 母子ともに、殊に子が安全に生まれてくることをモットーに祈願しています。出産時間が早いから安産、母親が苦しまなかったから安産という気持ちではやっておりません。今のところ難産だったというご報告は聞いておりませんが、1件だけ障害を持ったお子さんの報告を受けました。また、仏縁をいただいたお子さんの名付親として開運名をつけることも多々あります。



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